正光寺研修旅行
平成19年11月25日〜26日
25日、平成4年に発足した薪流会の15周年記念式典が東京目黒雅叙園にて行われ、大井管長さま、阿部浜松支部長、向教学部長、方広寺雲水さん、他、数名の和尚様方は、前日24日より、東京に向かわれ、24日は相国寺東京別院にて午後六時まで坐禅をされ、25日は午前九時より浅草方面を托鉢されました。竜泉寺さまと正光寺の住職は、信者さん方を引率してバス1台で式典に参加するべく東京に向かいました。正光寺檀家さん8名もその中に参加させていただきました。
寒い朝、7時45分正光寺東門に、浜松駅、祥光寺さま、竜泉寺さまを経由してきたバスが到着し、正光寺から乗車する15名を乗せて、一路東京を目指してバスの旅が始まりました。
     
 「薪流会」会名の由来
桂林荘雑詠 諸生に示す
道ふを休めよ 他郷苦辛多しと
同胞友有り 自ら相親しむ
紫扉暁に出づれば 霜 雪のごとし
君は川
れを汲め 我はを拾はん

快晴の青空の下、東京に入りました。青い空に聳え立つ東京タワーが迎えてくれました。東京タワーの近くの増上寺に参拝させていただきました。
増上寺は、6人の将軍が眠る徳川家の菩提寺になっています。幼くしてお亡くなりになった子供さんへのご供養のお地蔵さまたちが沢山並んでいらっしゃいました。お一人づつ風車を持っていらっしゃるのが、印象的です。
目黒雅叙園に到着です。〔石川県出身で立身出世の創業者・細川力蔵が、もともと芝浦にて創業した旧雅叙園は、古河鉱業の重役近藤陸三郎の6000坪の旧邸を買収し、1931年(昭和6年)に目黒に開業した料亭で、国内最初の総合結婚式場でもあった。<昭和の竜宮城>と呼ばれた絢爛たる園内には「百段階段」をはじめ有形文化財も多い。〕
普通は見学できない文化財の「百段階段」を東海トラベルの田代氏のご尽力により特別拝観させていただきました。
百段階段の内部景観はカメラに収めることは不可能でした。HPよりリンク致しましたので、百段階段 の世界をご堪能ください。
螺鈿や漆工芸の装飾を堪能させていただき、40人収納できるエレベーターにて「薪流会式典会場」へ移行いたしました。
受付には、前日よりお手伝いに出向いていらっしゃる方広寺の雲水さんたちのお顔もあり、方広寺藤田総理さま、向教学部長様、徳生寺さま、好徳寺さま、竜泉院、甘露寺の副住職さま方、また実相寺の寺庭さまもおいでになりました。

式典の始まる前で来賓の方もまだお見えになっていらっしゃらない方もおられます。右の方に管長さまのお姿が拝見できます。
会長さまのご挨拶で式典は始まり、向教学部長さまの司会にて進行されていきました。
演題「禅の心 茶の心」
講師 臨済宗大本山相国寺派管長 有馬頼底老大師
薪流会の名の由来の広瀬淡窗(江戸後期の儒学者、詩人、教育者)の生まれた大分日田で小僧生活を送った老大師がこの「桂林荘雑詠」を冒頭でご紹介された。室町時代の歴代の将軍は何れも夢想国師などに帰依参禅し、その境涯は政りごとに反映された。また戦没者への慰霊や平和の祈願のために禅宗寺院建立の大檀那となった。それが茶文化などを代表とする日本文化の大成に大いに寄与する結果となった。こうした歴史を作り上げてきた武家はもとより公家も民衆も日本人の精神文化の創造と伝統を尊重してきた。現代においては政治家も大衆もその意識は低く、防衛庁の省昇格などより文化庁こそが省に昇格し日本文化の高揚と発展に努めるべきであると・・・。日中仏教文化交流に貢献された老大師は、臨済寺など日本臨済宗の源流ともなる寺院の復興は中国での禅復活にもつながってほしいと語られた。
講演会の会費は一人2,000円だったのですが、大井管長さまからプレゼントしていただき、正光寺檀家さん共々お礼申し上げます。
目黒雅叙園の景観を堪能し、有馬老大師さまのお言葉を心にしまって、精神を向上させ、泊をとるべく東京を後に致しました。
                                      横浜ぁ