こども坐禅会 |
今年もやってまいりました!!「夏休み」。こども時代、誰もが楽しみにしてたモノの一つでしょう。クリスマスや誕生日は楽しくても一日で終わってしまいます。その点、「夏休み」。なが〜く楽しめる。「永遠に夏休みだったらいいのに・・・。」なんて思いながら毎日遊びまわっておりました。そして、夏休みが終わる頃にふと気づく「宿題」。「押し寄せる現実感」・「永遠なんてモノはないんだ・・・」というある種の喪失感。
「夏休み」が来るたびに、こども時代に想いを馳せます。
小学校時代。まもなく夏休みも終わる頃、いつものように学校のグラウンドでサッカーをして晩御飯を食べに家に帰るとき。夕日が沈んでいく中、ふと振りかえるとグラウンドにはそれまで遊んでいた自分達の熱気が漂っている・・・。なにか大切なものを落っことしちゃったような不安さ、こころもとなさ、やるせなさ、その不安の元がわかんない悲しさ、ちょっとこらえないと危うく涙がこぼれ落ちそうになっちゃう心細さのような感情。
いま振り返ると、「あ〜・・・。これが(あはれ)という感情なのか」、「こういう経験を積み重ねて、一歩ずつ大人になってきたんだな」と。
こういう感情を社会人になってからは、なかなか経験しなくなってきます。たまに「夏休み」という言葉から子供の頃に想いを馳せ、当時の感情をリアルに、忠実に、「想像力」という助けをかりて味わうことはものすごく大切なことのように思えます。(自分を見つめなおす一環として)
・・・おおげさでしょうか?しかし、仏教者。まがりなりにも心を扱う専門家として感受性は豊かな方が良い。それこそ、こどもの頃のような感性が必要とされるのではないでしょうか?
そんな今は無き「夏休み」に、現在進行形で「夏休み」を満喫中の小学生達を相手に。
正光寺では毎年、「こども坐禅会」を行なっております。
今年は例年に比べると少ないですが、それでも30名近いこども達が集まってきます。
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次は、一風変わった「横臥禅」です。
あの臨済宗中興の祖と謳われる江戸時代後期の静岡出身のお坊さん、「白隠禅師」が坐禅ができない人達の為に考案された「寝ながら行なう坐禅」というものです。 |
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横たわっているだけなので簡単そうですが・・・、その分、眠くなりやすい。
朝六時からの「こども坐禅会」。こども達はかなり眠たかったと思います・・・。
「横臥禅」の注意点。
・両足の親指どうし、両手の親指どうしをくっつけて離さないこと。
・目を閉じないこと。
・眠らないこと。
興味ある方。一度、おためしあれ。 |
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8月3日、「こども坐禅会」接了日です。
坐禅をしてラジオ体操をした後、本堂を掃除してから粥座(朝食)をいただきます。 |
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左の写真は、毎朝「いちばん乗り」の小学三年生の杉本君。
中央の写真は、参加者全員に配られる「参加賞」の「お地蔵アンパン」です。
他三枚は、朝食の風景です。おつかれさまでした。 |
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