日々是好日
令和五年
 
 
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 令和元年の日記
1月30日
1月最終の日曜日『星まつりこと妙見菩薩様のお祭り』が行われました。”あっ赤鬼さんが写っていません青鬼さんは写っています”ね。3年間コロナウィルス禍で縮小になってしまいましたが、昨日は感染対策の下100名弱のお参りを頂き、久々にお会いした方々も元気なお顔を見せて下さり安心した次第です。私の事もご心配下さっていたようで、元気な姿をお見せできました。来年は役員の皆さん共々櫓を組んで「餅まき豆まき」するぞと決めました。(笑)
方広僧堂の雲水さん3名の方のご加担をいただきました。所作も清々しく「大般若祈祷」の大きな声が本堂に響いていて、参拝の皆様も元気が出たと思います。一生懸命な所作や読経に身が引き締まりました。ありがとうございました。
この一年の厄払いと健康を願って<(_ _)>楽しく暮らしていきましょう。
 
 
「大般若祈禱」
 
「大般若祈禱」
 
読経の中お参りの方々のご焼香です。
 
 1月26日
先ごろ拝聴したお話で心に留まっているお話があります。
龐居士と霊照のお話です。居士と娘の霊照は一家で作った竹の笊や籠を市場に売るため出かけて行きました。橋のたもとに掛かった時龐居士が転んでしまいました。霊照は走り寄って自分もその場に転んでみせました。居士が「何をしているんだ」と言うと「お父様を助けて差し上げようと思って」と。すると居士が「誰も見ていなくて良かったなぁ」と言って二人で笑いました。普通お父さん何をやっているの、早く立ち上がってと手を差し伸べる。上から目線というか、自分が若くて元気だから年老いた父親を助け起こしてあげようという。しかし助け起こされる方は自らの老いを感じさせられるし惨めな気分になる。だから娘は自分も転んで見せた。その辺り本当の慈悲とはどういうものか、本当に人を救うとはどういうことか。「慈悲」という言葉は生きてきて何度も何度も眼にしてきた言葉です。今「慈悲」という言葉と距離が縮まった、だからと言って普段の生活で現成できるか。霊照がその慈悲の行いができたのは常に慈悲の心を持っているからだと思うのです。私の心の靄が晴れる日はくるのかなぁ。
 両足院の文化財|京都建仁寺塔頭両足院|座禅体験・庭園の特別 ...
『両足院の文化財』より
 
 1月23日
サボテンを育てています。団扇仙人掌(ウチワサボテン)と言います。
兎のような形で中々可愛いです。初心者には育てやすいサボテンですが、ポイントは水やりの頻度だそうです。ついついあげたくなっちゃうんですよね。
花言葉があります「暖かい心」「偉大」。
健やかに育ってくれますように<(_ _)>
 
 
 
 1月20日大寒
昭和63年1月20日先代が亡くなりました。37年前の気候は今とは寒さも比べ物にならなかったと思いますが、寒いとは言っても静岡は住みやすい所ですね。冬は有難い土地です。
 夜明けの空(有明の空)に昇ることから「有明月」と名前が付いたそうです。三日月とは左右逆に見えます。
「紅まどんな」皮が薄く酸味と甘味が程よい蜜柑です。愛媛の檀家さんが送ってくださいました。すごぉく美味しいです。

十数年前に浜北の緑化木センターから来た紅梅
です。根の張り方が大きくて丁度仕事に見えていた石屋さんが手伝って下さって植栽できた紅梅が今春も可愛い花を一つ二つと綻ばせ始めました。
 
有明月

紅まどんな 
 
庫裏前の紅梅
 
 1月17日
                       ♪いいものみつけたぁ♪
昨年9月頃”ブルブルマシン”をみつけました。「乗ると体幹を鍛えられたり、血行を促進したり、基礎代謝をアップしたり・・・」色々と効果が謳われていました、勿論悪いことも!
ここ3年位リウマチも悪くなって、椅子をみつけたら座るという日常で、横腹とかの筋が張ったような胃も不調な時が多くなって運動不足が原因かなと。普通に暮らしているつもりだったのですが、数年前とは比べ物になっていなかったのでしょう・・・
昨年9月頃より一日一回”ブルブル”っと。( ´艸`)始めは胃が絞めつけられる感じで痛く感じる程でした。乗る時間や速度を調節して胃も慣れてくれました。「あれぇ私に合う~」お陰様で脇腹の凝りとか胃も凝っていたのでしょうか。胃の訴えが無くなりました。(笑)思いがけず患ったリウマチと付き合いながら今日もブルブルっとしています。
 
 
   
1月15日
左の菩薩様は正光寺の鎮守様『北星妙見大菩薩様』です。
毎年1月の最後の日曜日に行われてきた大祭の様子はこちらからご覧ください。
お札・お守り・車用ステッカーを大般若祈祷し、お参りの皆様がお持ち帰りくださっています。
 
  きょうはお守りの袋入れが800個できました。妙見さまは亀に乗っておられます。このお守りは京都の井筒さんへ伺い、住職がデザインしたお守りです。”亀さん”がトレードマークです。サイズも小さめで肌身に持っていただくのも良いかと思います。
 
 
 1月14日
南極の昭和基地で、置き去りにされたタロとジロの兄弟犬が翌年南極観測隊に発見された日だそうです。

裏の畑で水仙が今年も咲いていました。一輪庫裏の玄関に挿しました。ナルキッソス(ギリシャ神話の美少年)は自分の姿に恋をし満たされぬ想いにやつれて死んで水仙に化したとか、池を覗き込むように咲く姿がナルキッソスのようだなどの名前の由来があるそうです。
冬の花の代表の”水仙”と”椿”そういえばこれから見頃の”カタクリ”の花もうつむき加減です。冬好いです、季節の移り変わりが嬉しいですね。
 
 
1月9日
昨日は顧問さん総代さん世話人さんたちにお集まりいただき年頭会がありました。今年の始まりを改めて実感する日ですね。今月29日の『妙見大祭』で皆さんにお世話になります。コロナ禍で規模は縮小の儘ですが、赤鬼青鬼さんは健在です。小規模でも続けていけば来年か再来年か、規模を少しづつ戻して行けると思います。そんな3年前を振り返っていると、沢山の行事が中止または規模を縮小になっています。その一つが『夏休み子供坐禅会』です。
毎夏5時30分頃になると子供たちの駆ける足音が響いて、其々座布団を積んであるところから持ってきて座ります。六年生は木魚の担当です。年によりますが50~60名程の参加があったと思います。その後は山門の前でラジオ体操です。最終日は子供たちが本堂を雑巾がけをして一菜とお粥梅干を食べて終わります。懐かしく思い出しながら色鉛筆画を書き始めました。  
 
 
 1月6日
お檀家さんの藤森さんから毎年の沢庵を頂きました。生大根に塩と沢庵の素で漬け込んであって、干した大根の沢庵とはまた違ったみずみずしさと食感があってこの時期いつも持ってきてくださいます。あっこの味を今年も楽しめると藤森さんご夫婦には感謝です。お二人とも老いていく体に負けじと頑張っておられます。

ここ3年「庚申講」も見合わせが続いております。集えた頃お持ちいただいた沢庵をお出しして、蛇腹に連なっていたのを恥ずかしいやら懐かしくもあり、コロナ感染症との付き合い方が若い方々とは違った思案があって、ギャップを感じる今日この頃です。一日も早く町の全てのクリニックで診療と治療ができるようになることを、日々の安心に繋げますように。
 
 
 1月5日
NHKで先日『北の果て一人で生きる 浜下福蔵92歳』が放送されました。

人間の強さ、他に選択肢が無い、選ばない、受け入れる。でも家族が欲しい、漁に出たい、仕事がしたい。91歳頃から漁に出られる体では無くなった。そんな持て余す心と老いる体を達筆な書の中に現し閉じ込める。
その強さは、戦後良かれ悪かれここまで復興してきた先人たちの強さと通じるものではないかと。
今の私たちはなんだろう    


 
 1月4日
ここ浜松は冷えていますが、風が静かな年末年始が続いています。

昨年秋頃から袋井の藤田法衣さんにお願いして般若心経の布を探していただき、文字の向きなど縫製にもご苦労して下さって、昨年末に出来上がった絡子です。文字の大きさも小さからず大きからず絶妙な大きさの布を探してくださいました。その絡子に禅語を賜りました。
『堪對暮雲歸未合 遠山無限碧層層』ちょうど夕暮れの風景、ちぎれ雲が茜色に染まりつつ、くっついたり離れたりしていく果てに碧い峰々が続いていく情景。
私が思い出すのは福知山に居た時、西に向かって帰宅する途中、夕陽を受け茜色に染まった雲が流れていく、その遥か遠くに碧い山々が連なっている情景が浮かんできます。その時はただ美しいと。明日も晴れるねとか。一日の気持ちを受け止めてくれるような・・・
今その情景に逢うとどう感じるのだろう。無心でその情景に溶け込むのだろうか。
 
 1月3日
寒い中、例年のように息子さん娘さん家族も元気な姿を見せていただき、ご先祖様も安堵されたことでしょう。お檀家さんも病や不調のお話を聞くことが増えたように思います。私もその一人ですが、老いるも捨てたものではないのですが、痛いとか苦しいは少しでいいですね。

お参りも一息つき岑月副住職も燻製に初挑戦致しました。先ずは味玉に挑戦。鶏ささ身はマリネ液に12時間漬け込み、1~2時間表面を乾燥させて70℃~100℃を保って30分燻製します。味玉はゆで卵を24時間麵つゆに漬け込み、スモークウッドにザラメをのせて燻製。と中々手間が掛かるようですが、甲斐あってささ身は美味しそうな焦げ色がついて中はパサパサにならず、また味玉は黄身は半生でまた香りが食欲をそそります岑月さんも満足な出来栄え(*・ω・)(*-ω-)(*・ω・)(*-ω-)ウンウン♪

昨年末に正光寺の家族が増えました。今年も4人共々よろしくお願い致します。
   
 
  1月2日
庫裏前の富有柿に鳥がひっきりなしに啄みにきています。昨年は檀家さんのIさんが吊るし柿にするのに形が良いのでと実を取って吊るし柿にして持ってきて下さいました。美味しかったです。
以前挑戦したのですが、硬くどちらかと言うと失敗でした。Iさんの吊るし柿はぽてっとして甘さも控えめのとても美味しかったです。今年も・・・イヒ('◇')ゞ
収穫後の木の上に柿の実を数個残しておくことを「木守柿」というそうです。柿の木への感謝と来年も沢山実りを頂けるようにという想いが込められています。もう一つは生き物への贈り物です。食べ物が少ない冬を目立つ橙色の実で天空を飛ぶ鳥たちを呼んでいるようです。自然からの恵みを独り占めせず、分かち合おうという先人たちの想いが込められています。

もう手遅れではないか、環境破壊で人間以外の生き物の営みを破壊し脅かし、果ては絶滅危惧種だとか・・・
昨日NHKで北極の氷が凄いスピードで溶け出していて、シロクマが移動するのに氷が無いので、600キロ北極海を泳いで陸を目指すそうです。そこには多くのシロクマ達が集まってきて少ない餌の奪い合いが。そしてクマたちは何百キロ先の人間の居住地へ歩き家畜を襲うそうです。心が痛みますが、そんな呑気なことでは済まされない。もう温暖化の進み具合は2030年にはとか2050年にはなどと言っている時では無い。・・・辛いですね。無力な私はそんなことを言う資格もない。ドキュメンタリー番組も問題提起するだけでは番組の域を越えられない。
 
1月元旦
明けましておめでとうございます。

平成から令和へ 
巡って・・・
リウマチと友達になり、自分は病にはならないな~んて思っていた時が懐かしく忘れてしまいそうでした。出来ていた事が少しづつ削除されていく・・・完璧主義だった自分に綻びが、全力投球だった自分に妥協が、又微熱が続き怠さで何をするにも「面倒くさい」が口から出る。そんな日々をリセットしたくなる、でも頑張るの繰り返し。
聖隷の宮本先生のご尽力でこの数年気持ちがいかなかった小さな作業も苦なく「面倒くさい」が減っていっています。でも人間って欲がでて、家事だけでは半人前なんて思ってしまう。何か日々の目標がほしくなる。色鉛筆画は続けているのですが、一年前からテープ起こしという役割を与えて頂きました。有難い成り行きで導いて下さったお二人には感謝でいっぱいです。でき得ることに感謝しこの一年も勉強していきたいと思います。
横の写真は、住職の画いた兎新年の伝道板です。ぴょんぴょん兎のように楽し気に跳ねられますように。