坐禅会 |
(毎月2回 第一土曜日夜七時と翌日の日曜日朝7時)
お檀家ではなくても どなたでもご参加いただけます。お気軽に覗いてみて下さい。お待ちしてます。
足の具合が良くない方、坐禅なんてできそうにない・・・と思われている方も椅子坐禅をお勧めします。
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内容
・お経(般若心経・坐禅和讃)
・坐禅
・法話(副住職)
・坐禅
・お経(四弘誓願) |
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昭和40年くらいから子ども会の「坐禅会」が夏休みを利用して行われていました。
現18世住職になって平成2年の子ども会坐禅会の最終日に子どもたちのリクエストで毎月第一日曜日の朝7時から坐禅会を始めたのが最初です。
其のとき、要望をした子どもさんが、成人した今も通ってきてます。
お経(般若心経・坐禅和讃)を唱え、後 10分心静かに坐り 法話をきき、また10分坐ります。
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遠くは毎月ではありませんが静岡市から見えたり、蜆塚のご夫婦、笠井、豊町、今月は曳馬から新しい方も見えました。年齢は20代から70歳代まで
貴重なお休みの朝ですが・・・のんびりするのも また気持ち落ち着くもの。早朝ですが自分見つめる時間つくり、法話に耳傾ける1/4日曜日も何か得るものがあるかもしれません。時間と得る気持ちを作るのはあなた自身です。 |
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画像を載せようかとおもいましたが、坐禅中シャッターを押す音を気遣いたくなりました。
ごめんなさい。
あなたを静の空間へご招待いたします。
「照顧脚下」・「看脚下」
禅寺の玄関には「必ず」と言っていい程、「照顧脚下」・「看脚下」という禅語の看板があります。玄関先にありますので、皆さん、「足元を見なさい」だとか「靴を揃えなさい」という意味だと考えていらっしゃるでしょう。勿論、そういう意味もありますが、「自分の行ないを顧みなさい」という意味も含まれています。
むかし、五祖法演禅師が三人の弟子達と夜道を寺へと帰る途中、突風で持っていた灯火が消えてしまいました。その時、法演禅師が「一転語を示してみよ」と弟子達に問いかけました。「夜道を行くには灯火が何よりも頼りとなる。しかし、それが今消えてしまった。さあ、お前さん達、どうするか?」と。
弟子の一人、圓悟禅師の「看脚下」という返答が師匠の心に適いました。それは「足元を見ます」というごく平凡な言葉です。暗闇で頼りとなる灯火が消えたら・・・足元に注意することが何より大切なことだと圓悟禅師は答えました。
この「暗闇」は我々の「人生」にも例えることができます。
「人生」において最も頼りとなる支え「よりどころ」を失った時、あなたはどうしますか?
その時、我々はまず、自分の立っている場所、自分の行ないの一つ一つを顧みる事が大切なのです。「その時」がいつ来るかはわかりません。ですから、お寺でもご自宅でも構いません。一日に一度、自分を顧みる時間を大切にしていただきたいと思います。勿論、その手段として坐禅をしたいと言うことでしたら、いつでもお気軽にお寺にお立ち寄りいただければと思います。お待ちしております。
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つぎ御詠歌 |
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