―神無月(10月)のことば―
『
「桃栗三年 柿八年 梅はスイスイ十三年 ゆずは大馬鹿十八年 みかんの間抜けは二十年 りんごニコニコ二十五年・・・」などと続くようですが、実生の果樹が実をつけるまでの年月のことです。
私が修行していた道場の老師さまは、時おり「栗でも三年」と色紙などに書いておられました。「桃や栗でさえ地に根を下ろし葉を茂らせ、寒暑風雨にさらされ、実を結ぶまでには三年は要するんじゃ。一年や二年坐ったくらいでは何もわかりゃせんじゃろ。」とでもおっしゃりたかったのでしょう。「石の上にも三年」とも言います。冷たい石でも三年も坐っていれば温もるということでしょうが、とにかく何事も余計なことは考えずに、ただひたすら黙々と目の前のことに徹してみろということなのだと思います。近頃は、大卒新採用の社員さんが三年以内に辞めてしまうケースが4割以上にも上るそうですが、その理由の一つに終身雇用・年功序列制がすでに崩れており、昔のように若い時は薄給でも経験に応じた地位と昇給が単純に保証されなくなったことが挙げられていました。これは当然と言えば当然のことで、日暮れ腹へり的に漫然と日々を過ごす中では地位と昇給は単純には保障されないでしょう。やはり、余計なことは考えずにただひたすら…が大事なのです。
武者小路実篤さんは「桃栗三年 柿八年、達磨は九年 俺一生」とおっしゃいました。達磨大師は面壁九年でお悟りを開かれました。実篤さんは生涯をかけても絵も書もへたくそのまんまだったと述懐しておられますが、実はひたすら書き続ける姿こそがあの味わいのある、見る人を安らげる書画を生み出していたのだと思います。十月五日は達磨さんのご命日です。
正光寺のホームページもごらんください。 http://shokoji.net
『仏前結婚式のすすめ』
ひさしぶりに「仏前結婚式」に立ち会いました。やはりいいものです。
日本人はたいへん機用でおおらかな民族でありますから、お正月や出産、お祭りには日本の神式で、結婚式ではキリスト教式を、そして人生の最後の儀式は仏式を…と臨機応変に、こだわらずに(いや、こだわっているのかも…)使い分けている、と言われています。使い分けをするということは宗教性があるようにも思いますが、実のところ宗教性はあまりそこからは感じられないのも事実です。宗教家の立場からしますとこれは困ったことで、やはり人生の節目節目の大切な時にはイメージや流行、コストなどを判断基準にするのではなく、信仰心からの儀式であってほしいと願うわけです。
日本の戦後教育はアメリカの指導で宗教教育が抹殺されました。教育の柱に宗教のないこんな国は日本だけです。ですから儀式や祭典からは宗教性が伝わってこないのは当たり前なのかも知れません。今の日本で特定の宗教をのみ教育することは決していいこととは思えませんが、宗教心を養うことは生活の根幹をなす、あるいは生き方の方向性を示すものとしてなくてはならぬ最も大切な事なのです。とは言うものの、アメリカや日本政府を責める前に本当は我々宗教家の怠慢であることを認め、懺悔しつつ遅れ馳せながらも真剣に布教をしなければこれからの日本人に明るい未来はありません。
お話を仏前結婚式に戻します。今回の式での私の役割は神式や基教式で言うところの神主さんや神父さん、牧師さんのような「戒師」という立場でした。本堂の東西に分かれた両家の親族に見守られながら、般若心経をご本尊様と両家のご先祖様に対して全員で奉読するところから始まります。そして戒師が結婚式を執り行う旨を宣言し、続いて「浄めの儀」として新郎新婦に浄香を注ぎ心身を清めます。その上で、二人が「仏・法・僧」の三宝に帰依します。仏とは天地宇宙の真理に目覚められたお釈迦さまをいい、法とはお釈迦さまが悟られた天地宇宙の法則、つまり私たちの悩み苦しみを転じて永遠の安心をもたらす尊い教えを指し、僧とは僧侶というより、仏を信じてその教えに従って生きる仲間の絆をいいます。つまりそれら仏法僧の三宝に帰依しますという誓いを立てて頂くわけです。次に戒師より数珠が二人に授けられ、結婚指輪の交換も行われます。「誓いの儀」ではご本尊様と両家のご先祖様に対して新郎新婦が誓いの言葉を述べ、結婚の成立を報告します。引き続き三々九度の「寿杯の儀」と、両家固めの杯が交わされます。最後に戒師より二人に対してお祝いの言葉や訓示が述べられ、四弘誓願という読経で締めくくられ閉式となります。その後は通常通り、記念撮影や披露宴会場へ移動しての披露宴となりました。
儀式はやはり、場面場面に宗教的な意味が込められており、しかもそれは永遠に変わらぬ真理に基づいているものです。だからこそ参列される方々は、その宗教的厳粛さに心洗われ、感動もされるのでありましょう。お寺の本堂は実に荘厳であります。儀式を行うために創られています。駐車場も充分にあります。一度菩提寺の和尚さんにお話を伺ってみてください。正光寺でも先代の頃からすでに二十数組の仏前結婚式を行っています。仏教徒であれば自信と誇りをもって仏前で式を挙げましょう。きっと戒師さまは心から祝福して下さるでしょうし、お二人の第二の人生の船出をご本尊様もご先祖様もお慶びになることと確信しております。
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