弥生(やよい)(3月)のことば―

  『生かさるる いのち(とうと)し 今朝(けさ)の春』

 

一雨ごとに春の訪れを感じるこの頃です。冬の間ちぢこまっていた草や木、それに虫たちまでのんびりとあくびをしながらお目覚めのご様子。風も陽の光もやんわりとそそがれ、「大きくなぁれ、大きくなぁれ」と応援してくれているようです。特に春は、全ての「いのち」をはぐくみ、自然の営みの尊さをひとしお輝かせて見せてくれます。

 

今月のことばは急性の脱疽病にかかり、幼くして両手両足を切断しなければならなかった中村久子さんの詠まれた句ですが、彼女はそのような境遇にありながらもそれから目をそむけることなく、懸命に自分の生まれてきた意味やこの障害の意味を模索して模索して格闘の末に、ある朝ふとかけがえのない恵みに目覚めた瞬間この句が口をついてあふれてきたのだそうです。この素晴らしい世に生をうけ、生きているのではなく生かされている自らに気づかされ、その真実に心の底からよろこばれたに違いありません。目覚めるたびに今朝も生かされているという実感こそが、苦難の人生を精一杯生き抜く力となったものと思われます。生まれた意味とか生きる意味とかではなく、そのままですべてがいとおしく、すべてに「ありがとう」と感謝を捧げられた生涯であられたようです。

正光寺のホームページもごらんください。 http://shokoji.net

   こぼればなし(お彼岸(ひがん)

この季節になるとお年寄りとの会話の中で「暑さ寒さも彼岸までって、昔の人はうまいことを言ったもんだねぇ。」がよく出てきます。暑くもなく寒くもなく、昼と夜の時間も同じというこの頃、春分の日や秋分の日の前後一週間を春の彼岸、秋の彼岸として日本人独特の仏教行事をもうけてきました。ところでお彼岸ってどんな意味があるのでしょうか。

こちら岸に対して向こう岸を彼岸というのですが、実は私たちのいるこちら岸が苦しみや迷いの世界で、向こう岸が安らぎの世界です。ですから苦しみの世界から安らぎの世界へみんなで渡りましょうというのがお彼岸なのです。で、その間を流れているのが煩悩という深い川です。煩悩というのは私たちがもともと持っている欲望に、オレがオレがという執着が絡み合ってできてしまった苦しみの根源のようなものです。この煩悩の川を渡るためには波羅密(はらみつ=パーラミター)という6つの徳目を船として、それを実践することで安らぎの世界に到ることができるとされるのです。

〔6つの徳目〕

1、布施(ふせ)…見返りを期待せずに純粋に分かちあえる心。

2、持戒(じかい)…誘惑に振り回されない強い意志。

3、忍辱(にんにく)…欲望に負けずに耐え忍ぶ精神力。

4、精進(しょうじん)…怠けることなく努力できること。

5、禅定(ぜんじょう)…波立つことのない静かに落ち着いた心境。

6、智慧(ちえ)…ものごとの道理を正しく身につけること。

以上を修行する期間がお彼岸の一週間なのです。でも、あまり力みすぎると転覆したり力尽きて溺れてしまう可能性もあります。煩悩とやらはなかなか手ごわい相手ですが、ここはひとつ自分の煩悩とじっくりと向き合って、流れを見極めて、時にその流れに身をまかせ、時に流れに流されず、自由自在に遊泳できるようになるともっともっとおもしろくなるかも知れません。

 

 さてお彼岸になるとみなさんお墓参りをされます。正光寺でもお墓は花盛りでとても華やいだ雰囲気になります。誰もがご先祖さまがたがお喜びになっていらっしゃると感じることでしょう。普段はご先祖さまを忘れてしまっている私たちかも知れませんが、お墓参りはご先祖さまがたを想うことによって、血の流れやいのちのつながりを再認識できるとても大切な場であると思います。顔や名前を知っているご先祖さまのお墓参りはもとより、その前は…もっともっと前のご先祖さまは…と、たどっていけば、宇宙の星の数よりも多くのいのちのバトンタッチがなされてきたことを思い浮かべることができるでしょう。そして今、私たちがこうして在ることはその星の数ほどのいのちのバトンタッチが確実に行われてきたこと、ご先祖さまの内、一人でも存在しえなかったなら、私は存在していなかったことも理解できるはずです。私たちは時折、縁をわずらわしいと思う事もあるでしょうが、実は私たちはその「縁」によって存在しているのです。

 一年のうちのどこかでそのいのちのつながりと、拡がりを噛みしめてみようではありませんか。もうすぐお彼岸がやってきます。





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