一円を笑うものは、一円に泣く

 

先日、参道の草刈りをしていると、一円玉5〜6枚が固まって落ちていた。以前にも同じようなことがあったのだが、どうやらお地蔵さまのところのお賽銭箱をあさって、一円玉だけを捨てていった形跡らしい。他のお寺でも同様の話は聞いたことがある。うまく表現できないが、なんだか残念な複雑な気持ちになってしまう。

 

今年も早いもので年の瀬を迎えることになるのだが、10年ほど前の大みそかの夕暮れのころ、お正月用に活けた華の手直し用に一枝を取りに境内に降りると、お地蔵さまのところで何やら奇妙な音がする。不審に思ってそっと見に行くと、怪しい人影がお賽銭箱をあさっているのが見えた。「コラーッ!!」と一喝するとその人影があわてて逃げようとするので、「待ちなさいっ」と事情を訊くことにした。「大みそかの今頃何をやっているんだ。今夜はどこで過ごすんだ。」と訊くと「天竜川の東名の橋の下へ帰る」と言う。いわゆるホームレスなのだそうで、半信半疑ながらも仕方なく「ワシが怒鳴ったから作業の途中だろ。全部空にしていきなさい。」と言うと、さい銭箱に戻って続きを始めた。「ワシがあんたに上げるんではないぞ。お地蔵さまからの思し召しじゃから、感謝してありがたく頂戴しなさい。」と付け加えた。慌てたためか一円玉がこぼれたのに立ち去ろうとするから「一円玉を粗末にするな。最後の大掃除を徹底してやれっ。」とまたもや怒鳴ってしまった。

 

それから半年くらい経ったある日、庭掃除をしていると二人の男がやってきた。一人の身なりはきちんとしているのだが、もうひとりは気の毒なくらいの風体であった。身綺麗な男は私服警官だと言い、犯罪者を連れて来たと説明してくれた。連れて来られた男はさい銭ドロの常習犯らしい。数日前にお縄になってから尋問をすると、ボロボロと余罪が上がってきたらしい。ただその中で、半年前の大みそかの正光寺での一件はとてもありがたかったと本人が言っているという。ありがたかったもへちまもなく、足を洗うでも改心するでもないわけだから何とも返事のしようもなく、「はぁ」とため息をついてしまった。でも男が私に見せたその時の表情は、何となく憎めずあどけなささえ感じられ、げんこつをコツンとする仕草で少しだけエールを送ってあげた。

あれからあいつはどうしているのやら…。今年も大みそかがやってくる。

 

 

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ところで一円玉のデザインですが…この木はいったい何の木でしょうか?

答えは、名前のない若木です。名前がないからどんな木にもなれるのだそうです。

直径は2p、重さは1グラム、ちなみに私と同じ昭和30年生まれだったのです。

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